『音楽私観②』

音楽私観②



前回にも増してめちゃくちゃ長い文章になってしまいました。。なんとなく予想はしてましたが中学、高校あたりからが長くなるんでした、、活字が嫌いでない方、駄文で申し訳ないですがお試し下さい。



2.羨望
6年生の時分、天皇陛下が病の床に臥され、世の中は何かと自粛ムードであった。当時井上陽水出演の「皆さ〜んお元気ですか〜」のフレーズで話題になった日産のCMも自粛されたりと言う出来事もあった。そして、中学に上がる直前、昭和64年明けて間もなくの1月、激動の昭和を生きた昭和天皇崩御され、故・小渕恵三元首相(当時官房長官)が年号を平成と発表。時代は昭和から平成へと移っていった。



中学に入ってからの自分はと言うと、卓球部と言う地味な部活に明け暮れる毎日。一年のうち少なくとも350日は部活に励んだ。その甲斐あってか偶然か、地元の県大会において2、3年生時と2度も個人優勝してしまった事は非常に摩訶不思議な出来事であった。当時は今から想像もつかない程の機敏さで動けていたに違いない。



さて、音楽の話に戻りたいと思うのだが、まず音楽のO先生との出会いについて語らねばなるまい。
中学に入ってから部活に打ち込む毎日を送りつつも、さらにスティービーワンダーの歌、音楽に惹かれていっていた。そんな折、O先生と出会うのである。



元々、自分は小学生時分より音楽の授業が好きであり、ありがたい事にO先生は音楽の授業の中で色々な映像やCD等を聴かせてくれたのであった。今思い出すとEW&F(アースウィンドアンドファイヤ)やマイケルジャクソン、We are the worldのビデオなど今の自分の原点となっている黒人音楽ものばかりであった。We are the worldに至っては中学3年の文化祭か何かのイベントにおいて、ついに人前で歌ってしまうと言う暴挙に及んだのは若かりし日の良い思い出である。当然スティービー役は自分であった。笑
現在でもほぼ完璧に憶えているWe are the worldの歌詞はこの時期に耳コピ(耳で聴いてコピーすること)で憶えたものである。否、厳密に言うと聴き過ぎて勝手に憶えてしまったのである。。
そもそも合唱等の通常授業ですら好んでいたので、このような映像に触れられる授業と言うのは自分にとってまさに至福の時間であった。
そして、O先生にも自分が愛してやまないスティービーの話をしたりもした。
ある日の休み時間、先生がとある日本人歌手のCDであったかビデオクリップであったかを聴かせてくれた。名前は久保田利伸と言うらしい。聴かせてもらった曲は「Missing」と言うバラード曲であった。そしてその歌声を初めて聴いた時、初めてスティービーを聴いた時と近い感動があった。彼は日本人でありながら黒人的歌いまわしを上手く取り入れ自分のものにしていた。
今となってはMISIA平井堅EXILE等J-R&B(最近若者の間ではRB「アールビー」と&を省略して呼ばれているようであるが)と言うジャンルまで確立され、その中に久保田利伸フォロワー達が数多くいる事も事実である。久保田以降でR&Bに傾倒する日本人歌手達の中にはアメリカの黒人達のそれに影響されるより前に久保田に影響を受けたと言う人間もきっと少なくはないであろう。
この映像をきっかけにすぐさまアルバム「THE BADDEST」を手に入れ、擦り切れるほど聴くに及んだ事は言うまでもない。
We are the world同様このアルバムの曲の歌詞はほぼ記憶している。今となっては猫も杓子も日本語のラップを取り入れてHipHopと言うジャンルが確立されているが(最近ではロックやフォークにも、しまいには桂ざこば師匠までラップを歌っているようである)この頃日本語のラップなどと言うのはその存在すらほとんど認知されておらずアルバム「THE BADDEST」の1曲目「Timeシャワーに射たれて」における日本語のラップは当時としてはかなり先鋭的だったと言えよう。
その後、「THE BADDEST」の前作「Such A Funky Thang」も入手、自分の中での久保田フィーバーはその後のアルバム「BONGAWANGA」→「KUBOJAH」→「Neptune」あたりまで続いた。加えて、当時は気にも留めなかったがこの頃のアルバムには世界に名だたる超一流ミュージシャン達(例えばジョージクリントン、ブーツィーコリンズ、ブレッカー兄弟、バーナードパーディ、ミシェルンデゲオチェロ等)が名を連ねているあたりも特筆すべき点であろう。自分が中学3年時に発表された「BONGAWANGA TOUR」を収録した2本組のビデオも秀逸だ。



他、同時期に聴いていたものとしては、マライヤキャリー、TAKE6、レイチャールズ、ボビーブラウンなどであった。
マライヤキャリーはちょうどこの時期がデビューアルバムの出た頃で、7オクターブとも言われる驚異的な声域に驚かされたものである。1stアルバムの「Vision Of Love」2ndアルバム「Emotions」などの名曲に関してもう説明は必要あるまい。
TAKE6は自分にとってアカペラと言うものを初めて耳にしたグループで、1stアルバムはいまだによく聴くアルバムであり、非常に高度なハーモニーを素晴らしいクオリティで聴かせてくれている。当時彼等には大学のトイレでよく練習していたと言う逸話があり、それを真似て自分も中学のトイレで用を足す人の迷惑もかえりみず大声で歌っていたものである。
レイチャールズは、ちょうど自分が中学生の頃、サザンオールスターズの名曲「いとしのエリー」をカヴァーし大ヒットした。それに乗じてレイチャールズのアルバムを買ってみたところ、それがかなり古い録音で、尚且つ非常に濃いブルースばかりを集めたアルバムであったため、当時の自分には何ともおどろおどろしいものに聴こえてしまった。まだその類の音楽を理解するには時期尚早であったに違いない。
ボビーブラウンは現在の音楽やダンスにおけるHipHopブームに至る先駆けのような存在で(同時期にM.C.HAMMERなども大ブームであったが)当時かなりの勢いで流行っていたと記憶している。アルバム等世界中で大ヒット飛ばし、ホイットニーヒューストンと結婚したりと華々しい人生を謳歌しているかのように見えたが、度重なるゴシップ、不祥事でいつの間にかシーンから姿を消してしまう。自分にとって「Humpin' Around」などは非常に印象深い曲だ。
他にも国内ミュージシャンでは「ドリカム」「シングライクトーキングダンス甲子園等の影響から「ZOO」その流れで「中西圭三」なども少なからず聴いた。「ZOO」のメンバーであったHIROは現在EXILEのリーダーらしい。自分がZOOのビデオを購入し人知れずダンスの練習をしていたなんて事実は誰も知り得る筈がない。笑



「東京ラヴストーリー」「101回目のプロポーズ」と言う社会現象となる程のテレビドラマがたて続けに放映された。子供ながらに色恋沙汰にも涙出来るようになっていたのだ。勿論「ラヴストーリーは突然に(小田和正)」「SAY YES(チャゲASKA)」は青臭い時分の思い出の曲である。
ちょうど時期を同じくして、BSで放送されていた「ROOTS」(76年 原作アレックスヘイリー著)と言う黒人奴隷クンタキンテとその子孫にまつわる歴史を描いた70年代のアメリカのドラマを見る機会があり、アメリカの黒人社会や文化等に少なからず興味を持ち始めるようになる。今年7月頃ケーブルテレビで放映されている事を知り、ほどなくDVDボックス購入に至る。やはり何度見ても素晴らしいドラマである。音楽をはじめ、黒人社会や文化に興味のある方には是非観て頂きたい。なお、音楽はWe are the world愛のコリーダでおなじみクインシージョーンズ大先生である。
とどのつまり、自分は昔からテレビっ子なのである。しかしテレビと言う媒体を通じて多くの素晴らしい出会いもある事は周知の事実であり、当然自分のスティービーの音楽との出会いもテレビなくしては語れまい。しかし昨今、テレビを見ていて気分の良くないものも多くなってきた。某親子ボクサーの一例はまがいなりにもスポーツマンのはしくれであるにも関わらず相手に敬意も何もない汚い言葉遣い、反則だらけで目もあてられないルール無視の試合、それに対して肩を持つかの如く放送をする局側、こんなものが放映されるくらいならPTA等からの抗議や圧力等で放映されなくなってしまった北斗の拳志村けんのコントを流した方が全くもって健全であると思う。今となっては亀○家も砂上の楼閣と化した訳だが。
そう言った事例をあげれば枚挙に暇がないのであるが、某「○る○る大辞典」に代表されるような事例は視聴率至上主義によって業界全体の倫理観が欠如してきていると言う最たる証拠ではなかろうか。メディアは「ばれなきゃ良い」なんて言う至福を肥やすための官僚的な思考では、数字取るだけの薄っぺらい番組作ったとこで国民には何も伝わらない事に早く気付いていただきたいものである。と言うのが単なる「一テレビっ子」の意見であると言う事をご理解頂きたき候。おっと、話が脱線してしまった。。



話を元に戻そう。やはりこの頃の自分にとって「音楽」と言えば「歌」であった。そして、恐らく黒人の音楽に影響を受けたであろうものを嗜好していた。当時はB'z等も人気が出てきた頃であったので、ロックも多少は聴く機会もあったが、今では考えられない事に自分はエレキギターの音が苦手であったのである。久保田の曲でもエレキギターの音が端々に聴こえるもの(Olympicは火の車、流星のサドルのギターソロ等)はたまに飛ばして聴いたりする事もあった。
それ程「歌」で音楽を聴いていたし、何を聴くにもその背後には常にスティービーワンダーと言う存在が見え隠れしていたに違いない。今思えば、相当な勘違いか或いは当然の事とも思えるのであるが、恐らく自分は久保田利伸をはじめその他聴いていたミュージシャンに対して、音楽的に彼等が自分よりも遥かにスティービーに近づけていると言う、もしくは単純にその音楽的な才能や能力に対して、ある種「羨望」の眼差しを向けていたのではなかったか。



さて、この後めでたく高校に入学し、聴く事すら苦手であったエレキギターの虜になる事など、この頃の自分には知る由もなかった。



つづく…(長いっすね。。次はどうなる事やら。。)