野茂英雄引退に際して

くいだおれ人形・太郎の引退がまだ記憶に新しい今日、日本人メジャーリーガーのパイオニアである野茂、NOMOが引退を発表した。日米通算201勝、メジャーでの二度のノーヒットノーランは実に輝かしく、同じ日本人としては誇らしくもある。しかし、一世を風靡したあの豪快且つ美しいトルネード投法が見れなくなるのは実に寂しい。少々古いが、千代の富士アントニオ猪木等の引退にも似た感覚を憶えたのは僕だけだろうか。清原が辞める時もきっと感じるだろうが、大スターの引退はひとつの時代の終わりを感じさせる。しかし引退しても才能ある人に変わりはないので、くいだおれ太郎同様、是非今後の活躍に期待したい。



蛇足だが、田代まさしは潔く芸能界引退宣言するべきなのかも知れない。

ミニにタコやスピードやチョコで人生からランナウェイしてはいけない。




さて、話はガラリと変わって、最近、時々織田裕二に似てると言われる。

「キター!」



嘘です。



正しくは織田裕二のモノマネをする山本高広に「声」が似てると言われる。

織田裕二ではなく、あくまで山本高広なのがミソである。

例えば、顔が似てると言われるのは、自分で鏡を見ることで他人からの見え方と然程変わらないように見えている筈なので分からないでもない訳だが(ん、色眼鏡と言うものもあるか。。)、声と言うのはやはり空気を伝わり鼓膜で響かせて聴こえる空気伝導と頭蓋骨を伝わり聴こえてきている骨伝導では聴こえる音色が全く違うのだと改めて気付かされる。山本高広がそれを限りなく有効に活用出来ているという事は本人の努力は言うまでもなく、元々は誰か他の人間にその能力を見出されたか、あるいは自分で何かに録音した声を聴いて発見したのだろう、多分。



僕が今更になって織田裕二ではなく山本高広に声が似てると言われるようになったのは、今まで僕の声に織田裕二を投影し、ある種の色眼鏡的なフィルターを通して声を聴く人間がいなかったと言う事実でもあるかも知れない。だとすれば、山本高広なら投影出来たと言う事なのだろう(笑)



織田裕二は「東京ラヴストーリー」以来わりと好きな俳優ではあるのだが、むしろこれからはこっそり山本高広を応援しようと思う。



ちなみに貴乃花親方と長嶋一茂の声も似てると思う。