『ケツバットの未来』

「ケツバット」という言葉をご存知だろうか。野球経験のある方なら当然耳にしたことのあるフレーズだと思われるが、知らない人のために簡単に説明しておくと、野球部の練習でノックを受けていて、つまらないエラーをした時などに監督やコーチから臀部をバットで叩かれるという所謂古典的な体育会系の罰ゲームである。最近ではダウンタウンガキの使い年末恒例絶対に笑ってはいけない〜の罰ゲームでもお馴染みであり、日本人にとっては広く認知されているであろう罰ゲームの代名詞的存在だ。

ここ数日、何故だか妙にこの「ケツバット」という言葉がアタマから離れないのだ。
このアタマを悩ます要因として明確な理由がひとつある。それは、行為と語句との整合性の問題である。
「ケツバット」とは恐らく「ケツ」+「バット」と言う至極単純な日本語と英語を組み合わせただけの造語だと容易に推測出来る。だがしかし、ここでもしボクが罰ゲームとしての「ケツバット」に関して、予備知識及びなんの先入観もなく言葉だけを聞いたと仮定する。そういった場合、純然たる言語としての「ケツバット」からボクが連想するであろう光景は次の二つであると予想される。

(1)バッターボックスでお尻のような形状のバットを構える衣笠祥雄
(2)バッターボックスでバットの代わりにお尻を突き出す衣笠祥雄
(注:衣笠祥雄はあくまで便宜的な一例であり、各々好みによって任意の選手名を当てはめてご想像いただきたい)

いずれにしても尻状のモノ、乃至は尻そのものがバットの代わりになっている様子を想像してしまいそうだ。これではいくら鉄人・衣笠祥雄ほどの偉大なレジェンドを登場させたところで、ふざけているのにも程があるとしか言いようのない光景であり、熱狂的な野球ファンの方々からは野球への冒涜だと言われかねない。
近年、日本社会における価値観の変化に伴い、体罰に関する基準はかなり厳しいものになってきており「ケツバット」に対する世間の寛容さ、認知度も相当低下しているのではないかと予想される。とりわけ体罰に対する免疫が最も脆弱で、なおかつ言葉に敏感な若年層に対しての「ケツバット」発言には細心の注意が必要とされるワケだ。(1)はまだしも、(2)が「ケツバット」の共通認識となってしまうと、本来の「ケツバット」以上に悪しき罰ゲームとなってしまう。バッティングセンターのバッターボックスでお尻を晒す姿をよく見かける、なんて時代が来ることはそれこそ世も末、まさに狂気の沙汰だ。

外国人に伝える場合はさらに困難を極める。ボクのように稚拙な英語力しか持ち合わせていない人間が「ケツバット」を直訳しようとすると「ケツ=butt」「バット=bat」つまり「バット バット」になってしまうのだ。こういった場合相当慎重かつ高度な発音が要求されることになる。最悪の場合「ケツ ケツ」と伝わってしまいかねないのだ。「ケツ」を連呼する大人が目の前にいたとすればかなりヤバイ空気を漂わせているはずだ。もし菅首相オバマ大統領に対して愛嬌たっぷりのニヤケ顔で「オバマさん、思いやり予算増額なんて言ったらケツバットしちゃいますよ♪」と言いたかったところを「オバマさん、思いやり予算増額なんて言ったらケツ ケツしちゃいますよ♪」と伝わってしまったらオバマ大統領は菅首相、いや日本人の国民性に相当な不信感を抱くに違いない。なまじオトコ同士の場合だと男色的な意味にとられないとも限らない。「ケツバット」が原因で日米関係が悪化しかねないわけだ。

野球と下ネタの狭間で様々な思索に耽り思い巡らせたにも関わらず「ケツバット」に対して依然として疑念を拭い切れなかったボクは万策尽き、とうとう禁じ手を使うに至る。日本が誇る知恵袋、キングof百科事典・広辞苑で「ケツ」を調べるしか打つ手がなかった。そして、広辞苑の「ケツ」のページを開いたボクは目を疑った。「ケツ」に関する驚愕の事実を知ることとなってしまったのだ。
実は「ケツ」を漢字で書くと「穴」だったのだ…
まさかの事態にボクは平常心を保つことが出来なかった。物心ついた頃から「ケツ」を臀部のことだと思い込んでいた自分を激しく恥じた。「ケツ」がむしろ穴の部分を指していたとは、自分の浅学さを改めて痛感させられた。長年信じていたものが、まるで倒壊するビルの如く一瞬にしてもろくも崩れ去っていったのだ。
それを知った上で「ケツバット」を改めて鑑みる。するとどうだろう「ケツバット」がとんでもなく恐ろしい行為に感じられてくるではないか。漢字交じりで表記するならば「穴バット」である。これではもう罰ゲームなどという生ぬるいものではなく、背筋が凍るほどの極悪ワードとしか言いようがない。もはやありふれた根性論や青臭いセンチメンタリズムの入り込む余地などないのだ。罰ゲームというより、むしろSM等をイメージさせるような、ある種の冷酷さや異常な性癖を含んだものを感じさせてしまう。もし仮にボクが野球部の練習でミスを犯し、その報いとして「ケツバット」ならぬ「穴バット」を強要されるのであれば、なんの躊躇もなく即刻退部届を提出することだろう。ボクにはその屈辱や痛みに耐え得る自信がないし、そういった類いの趣味もない。

こうして「ケツバット」を自分勝手に拡大解釈してみると、ボクは、世の中から「ケツバット」を排除しようとする社会を危惧している自分に気づいた。知らず知らずのうちに「ケツバット」はブラックボックスに陥っていたのだ。そのうち、すっかり存在感を失ってしまった「ケツバット」の一人歩きがはじまり、ひょっとすると百年後には全く形を変えてモンスター化してしまうかもしれないのだ。

長々と「ケツバット」について語ってきたが、色々調べる中である素敵なブログに出会ったので文章の一部を抜粋、要約して最後に紹介しておきたい。

『バットで叩かれるときには、お尻をひっこめるのではく、突き出していったほうが痛みが少ない。嫌だなと思って腰を引くと、バットで叩かれたときのダメージが大きいけど、何をと思って腰を突き出すと、力いっぱい叩かれても痛さが軽減するらしい。
自分が、「嫌だな」「苦手だな」と感じていることから目をそらしていると、知らない間に嫌なことや苦手なことが大きく重くのしかかってくる。こじらせるとウツになるかもしれない。
そんな状況を解決するには、テントの屋根にたまった雨水を下からつついて流しだすように、横の席からはみ出してくる肥満気味の人に軽く肘を当てて侵食を止めるように、ちょっとした力点が必要だ』


これを読んで「ケツバット」の未来は明るいと確信した。