看板

気がつけばもう八月。

稲川淳二の怪談話が夏の風物詩となったのはいつの頃からだろうか。



さて、昨日の仕事帰りの電車での話。

神戸のとある駅から快速電車に乗り込んだ僕は入り口付近の2人ずつが向かい合う4人シートの窓側に進行方向を向く形で座った。発車して文庫本を読み耽り、しばらくすると次の駅に着いた。するとスポーツをしている学生らしき青年が僕の斜向かい、つまり進行方向と逆を向く形で通路側に座った。彼の着ているポロシャツと短パンには奈良の柔道で有名な学校の名が冠されていた。体格や冠された文字から推測するに恐らくラグビー部であろう。彼はipodでも聴いているのか耳にイヤホンを埋め、持っていたカバンを横の空いているスペースに投げ出し、足を大きく広げ何やら誇らしげに座っていた。若者によくあるスタイルではあるのであまり気にも留めなかった。しかし、5〜10分程経った時、彼は左足をもぞもぞとし始めたかと思うとおもむろに向かいの席の肘掛に足を掛けた。しかも靴は履いたままである。さすがにこの姿は褒められたものではない。次の駅で人が乗り込んできたので、さすがに彼も掛けた足を下ろしたのではあるが。



当然、彼のとった振る舞いは日本において残念ながら非常識と思われても仕方のない振る舞いであっただろう。靴のまま肘を置く部位に足を掛けていたのだから。それは彼自身が個人的に恥をかき、場合によっては批判の対象になるだけである。しかし少なくとも昨日の彼の立場は違っていた筈だ。自分の学校の名が大きく冠されたものを上半身にも下半身にも身につけていたのだ。その学校からはオリンピック金メダリストも出ているし、彼にはそれを着ている意味、もしくはそれを着ている意識自体が欠落していたのだろう。彼は歩く看板でもあるのだ。



今オリンピックが行われている。メディアの露出が多い有名選手は自分の名がそれだけで看板になってしまっているのかも知れないが、とにかく日本選手は「Japan」と言う我々日本人が背負い得る限り最も大きな看板を背負っている訳である。彼らが本当の意味で背負っているものは、実はメダルや記録に期待する自国民からのプレッシャーなんかではなく、画面を通して世界に映し出される日本人と言うもののイメージなのではないだろうか。日本の高潔なメダリストやトップアスリートに決してそんな人はいないと思うが、もし電車の肘掛に靴のまま足を掛けているような金メダリストを見かけたら同じ日本人であってもそんな奴を多分応援しないだろうな。そんな人が自分たちの代表だったとしたら堪ったもんじゃない。



序盤のオリンピックで心を打ったシーン。

女子柔道の女子57キロ級での佐藤愛子選手。敗戦時、足を駆られ靭帯損傷。しかし、自分の力で立ち上がりコーチのおんぶを制止して足を引きずりながらも自ら歩き出した。彼女に日本女性の持つ逞しく、強い精神力を見た気がする。