『教祖誕生』ビートたけし・著

気がつけば書評半年も書いてなかった。そんな感じで今年初めてのブックレビュー。まぁ所詮ボクの書評なんてヤナギブソン風に言えば、まさに「誰が興味あんねん」って事になるのだけど(笑)
さて、久々の一冊は天才ビートたけし氏の映画化もされた「教祖誕生」。たけし氏の作品の中では少々マニアックな部類になるのかも知れないが、わりと面白いので。

ところで、ビートたけし氏に関してはもう何の説明も要らないだろうが、ボク達の世代であれば、ひょうきん族元気が出るテレビスーパージョッキー風雲たけし城、たけしのスポーツ大賞等々が思い浮かぶ。そんなテレビっ子だった小学生の頃に大のたけしファンだったボクはお小遣で初めてたけし氏の著書を購入して読んだのだった。『たけしの新坊ちゃん』というタイトルの昔よくあった新書サイズの小説。実は小6か中1で読んだ本家・夏目漱石の坊ちゃんより早くに読んだのでパロディであろうそのタイトルが意味する部分は何もわからず読んだのだった。実家にまだ存在するその本の内容に関しては正直よく憶えていないのだが、坊ちゃんのように大学を出た主人公が田舎で教師をする、みたいな筋だったと思う。とにかく下ネタが満載だったことを記憶していて、この本でいろんな淫語を初めて知ったものだった(笑)ある意味ボクの下ネタ好きはこの本に端を発し形成されてしまったのかも知れない。

さて本作であるが、たけし氏が著述した当時の客観的な宗教観、つまりは宗教観の弱い昨今の日本人の体質をよく表していて非常に興味深く読める。宗教的な観点から文章を書く作家といえば、例えばキリスト教ドストエフスキーや日本なら遠藤周作、仏教なら五木寛之玄侑宗久などが有名なんだろうけど、たけし氏のこれはもっと客観的と言うか、宗教と言うもの自体に対して何か疑問を投げ掛けたり、自らの宗教観を投影しているようなものだと思う。つまり無宗教であること、もっと言うと無思想で無関心であることに対する疑問と言うか、八百万の神や仏様という精神的支柱をなくした日本人が何を信じ、どうなる可能性を持っているかって事を予期しているようにも思える。そして、これが書かれた後にはオウム事件に代表される新興宗教に関する沢山の事件が起きたのは事実だ。結局のところ資本主義の世の中に後発で出現するものには金儲けという側面がつきまとい、懐疑的な人間からそれを払拭することは難しいことなのだろう。この話に出て来る主人公は、その教団のインチキ呪術を知りながらも、それを信じ幸福感を得ている信者を見てそのギャップに苦しみ、最終的に教祖にまで担がれ、教団の錬金術の仕組みを知り、宗教とは何なのかと自問自答の日々を送るのである。

ちなみに巻末にある宗教学者島田裕巳氏の解説も興味深い。島田氏の著書は何冊か読んだが、ひろさちや氏のものと並んで宗教学者が書くものとしては非常に読みやすく、宗教学の入門にもってこいである。

とりあえず本書はビートたけしと言う日本が誇る天才の底知れぬ好奇心の一端を感じられる一冊であった。欲を言えば、もう少し突っ込んで、もう少しボリュームがあってもよかったかなぁ。


『教祖誕生』(新潮文庫)ビートたけし・著
★★★★☆